19 超
超。
「超えていこう」と頻繁に思う。
何を超えていくつもりなんだぼくは?
などと頭をひねったところで、幼少期に母親から、ぼくの話には主語と目的語がないからわかりにくいと説教を受けたことを思い出す。「超えていこう」もまさにそれである。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
とはいえ、肝心の問題は解決していない。ぼくは何を超えていこうとしているんだ? 人知か?
人知を超えようと試みることは大事である。所詮は人知、人間の為すことであるため、ゴジラから見たアリみたいなものである(ところで、ゴジラの目の分解能ではアリは見えない。これは豆知識として明日にでも披露すると良い)。
人間が自らの存在を超えてしまったとき、何物にも代えがたいものが生まれ得る。それは抽象的であり、それゆえに普遍性を持ち、かつ、永続的である。つまるところ、芸術なのである。
人知を超えた先にある芸術。ぼくはどうやら、そこに到達することを心奥で希求しているようであるなあ!(いい加減に書き始めたのに、ぼくの崇高な魂の一片が顕になる良記事でしたね、と、いい加減に締めておきます)